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シンソウ坂上(3月12日)福島第一原発の内容ネタバレと感想

テレビ番組

3月12日の「直撃!シンソウ坂上」は、「事故10年目の福島第一原発に潜入SP」ということで、福島第一原発が取り上げられました。
 
 
なんと坂上さん自ら、福島第一原発に行って取材を行っています。
 
 
この記事では、福島第一原発が取り上げられた3月12日放送の「直撃シンソウ坂上」の内容ネタバレと感想について、お伝えいたします。

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シンソウ坂上(3月12日)福島第一原発の内容ネタバレ

東京電力から指定された集合場所、福島県富岡町に坂上さんが到着。そこは原発から10㎞程離れています。

富岡町は3年前に避難指示が解除されたばかり、坂上さんは歩きながら周辺の状況をみて。

坂上「普通に生活している感じあるね。元に戻りつつあるって思っちゃう。」

 

東京電力広報担当の阿部さんと合流。

「今回本当に原発の中を見せていただけるんですか?」

おそろおそる聞く坂上さんでしたが、阿部さん曰く、東京電力としはたくさんの人に同原発を見て欲しいと思っていて、シンソウ坂上で取り上げることはむしろ好ましい、とのこと。

 

車に乗り込んだ坂上さんは、福島第一原発へ向かいます。

 

いまだに人が住めない街「帰還困難区域」

 

5分ほど走ると「この先、帰還困難区域」の看板が。帰還困難区域は、現在定住的に住むことが出来ない立ち入りを制限された地域。車の通行は可能なのだそう。車は9年前から誰も住めなくなった帰還困難区域へ向かいます。

区域内の住居を除くと、皿や調味料が乗ったテーブルが見えます。当時、食事中に地震に逢いそのまま非難し、9年手つかず、ということなのでしょう。

 

除染作業を行っている作業員の姿も見えます。少しずつ除染は進んでいるようです。

住宅街では盗難防止のため家の前にバリケードが敷かれています。

 

放射能汚染された原発の敷地

 

走ること15分、いよいよ福島第一原発へ。というところでテロ対策のため、撮影許可エリアまでは撮影禁止との指示が。

出発から20分で原発入口へ到着しました。撮影再開です。

さっそく施設の中へ。汚染されてないエリアにて汚染されたエリアへ入るための準備を行います。

 

汚染エリアに入る前の坂上さんの汚染度測定ののち、3重の靴下、被ばく量を測定する測定、専用ベストなどを装着します。

 

 

 

巨大津波が直撃した建屋

 

準備を終え、原子炉建屋まで100mの位置という高台に移動。原子炉盾を見た坂上さんは、

「近くで見ると全然違う。デカイ。」

とその迫力に驚いています。水素爆発を起こした1号機は、がれきの撤去が進んでいるものの当時の面影が残っています。損壊の激しかった3号機はがれきの撤去が完了しドーム型のカバーに覆われていました。

 

まだここいて話を聞きたそうな坂上さんでしたが、放射線量が高い、という理由で別の場所へ移動。

一日に許される被ばく量は法律で決められています。がれきからは今なお放射線量が発生していて、建屋周辺は線量が高め。ずっといると、許容量を超えてしまい強他の場所は取材できない、と案内の方が説明します。

 

車で建屋に接近します。粉塵による内部被ばく対策のためマスクを追加。

「ピュイピュイ!」

移動中、線量測定器のアラームが鳴ります。3回鳴ると、許容量を超えたという合図。汚染したエリアにはいられません。あと2回でロケは中止となってしまいます。

 

ドームに覆われた3号機のすぐ下に到着し、見上げる坂上さん。ここでもその大きさに驚いています。その後は言葉が出ません。

 

続いて坂上さんは、津波に飲み込まれた海沿いのエリアへ。9年前から手つかずのこの場所は、津波の影響でひしゃげた鉄骨や、がれきがそのまま残っています。原子力発電所の敷地内で発生する廃棄物は、外への持ち出しが制限されていて、鉄骨やガレキを処分する先がないため撤去工事が進んでいないのです。

周囲を見ると、作業に使用したマスク、手袋などの保護具もすでに所狭しと積み上げられています。

 

 

いよいよ建屋の中に潜入。最初の装備にプラスして、キャップ、布手袋、ゴム手袋、全面マスク、保護服を装着します。装備の隙間はテープでふさぎます。スタッフを含め全員がその装備で現場へ向かいます。

マスクに慣れていない坂上さん、呼吸が苦しそうです。

 

1階と地下は津波で水没していました。臨時にひかれた電源ケーブルはそのまま。

津波の被害にあわなかった二階では、汚染拡大防止のため壁面がピンクのシートで覆われています。運転員は事項当時ここにとどまっていたそうです。

 

 

原子炉まで20m!中央制御室

いよいよ中央制御室へ。中央制御室は、24時間体制で発電所の設備を一括コントロールする場所。事故当時、この場所が原子炉の崩壊を防ぐ最前線となったのです

 

中央制御室の中で、照明が消されます。事故当時の中央制御室の状態を再現するためです。

「えっこんな状態で作業やってたの?」

坂上さんもその暗さに驚いています。

 

津波から24時間後、1号機が水素爆発、続いて3号機が水素爆発。しかし最も危機的状況だったのは2号機だったと伝えられています。建屋は無事だった2号機では核燃料の入った原子炉容器の圧力が異常に高まっていて、爆発する危険が迫っていました。

 

当時現場を仕切っていた東電の吉田所長が、こんな言葉を残していました。

「2号機は、放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから、我々のイメージは、東日本壊滅ですよ。」

 

格納容器の爆発により、放射能が東日本全域にまき散らされ、東日本に人が住めなくなっていたかもしれない、ということです。

 

結果的に2号機の大爆発は免れましたが、破損した格納容器から発生した放射能により、周辺地域の汚染へとつながりました。

事故処理はいつまで続くのか、まだわかっていません。

 
 

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シンソウ坂上(3月12日)福島第一原発の感想

当時、東日本壊滅の危機、とまで言われていた福島第一原発事故。

 

現在、福島第一原子力発電所の敷地内は、除染が進んでいて、ほとんどのエリアでは、私服や軽めの装備での行動が可能になっているのだとか。

 

発電所で働く人たちのためにコンビニが出来たとか、一部帰還困難区域が解除されたなど、嬉しいニュースを耳にする機会も増えてきました。

廃炉をどうやって進めていくのか、汚染水はどう処分していくのか、まだまた課題山積みの福島第一原発ですが、少しずつ良くなっているんだなというのを、シンソウ坂上を見て感じました。

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