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直撃シンソウ坂上(2月27日)松岡修造の内容ネタバレと感想

テレビ番組

2月27日の「直撃!シンソウ坂上」は、松岡修造さんが取り上げられました。
 
 
日本一熱い男と言われている松岡修造さんですが、どんな内容だったんでしょうか?
 
 
この記事では、松岡修造さんが出演した2月27日放送の「直撃シンソウ坂上」の内容ネタバレと感想について、お伝えいたします。

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直撃シンソウ坂上(2月27日)松岡修造の内容ネタバレ

日本一熱い男、松岡修造はいかにして出来上がったのか

当時21歳の松岡選手は、プロデビューから3年で当時の日本人選手の最高位である世界ランク60位まで上り詰めました。しかしその直後、選手生命を脅かす危機が。「両膝半月板損傷」という怪我を負った松岡選手は、1年にわたり全く勝てなくなります。60位だった世界ランクもあっといまに何百位に落ちてしまいます。

松岡修造さんが人生で初めて味わった、怪我による挫折。この時ばかりは周囲に隠せないほど落ち込んでしまったのだそうです。

 

しかしそのリハビリ中ある少女との出会いによって、自分自身を超ポジティブに、そして人を応援することを生きがいとする今の松岡修造が生まれることになったのです。

 

加賀からの復帰を目指しリハビリに励んでいた松岡さんは、リハビリの先生からテニスファンの入院患者にあってほしい、と頼まれます。松岡さんは、気分転換になればと軽い気持ちで引き受けます。

数日後、その患者の病室に行くと、中学生くらいの女子がいました。

松岡さんはその子がどんな病気かは知りませんでしたが、明るい笑顔が印象的だったそうです。

「私の分まで頑張ってください」

そういってその子に最高の笑顔で応援された松岡さんでしたが、残念ながら1回戦負け、1回戦負けが続きます。

 

そして数週間後。再び病院を訪れてみると、

「ありがとうね、彼女は喜んでいたよ・・・」

先生の暗い様子に松岡さんは違和感を感じます。先日あった女の子はあと2週間の命だったと聞かされます。白血病だったのです。病室に行くと、その子のベッドには誰もいませんでした。

 

余命わずか2週間だったにもかかわらず笑顔で松岡にエールを送ってくれた少女と、怪我をしていた程度で落ち込んでいた自分を見比べた松岡さんは、恥ずかしい思いと悔しい思いがごちゃ混ぜンになった感情に襲われます。自分は甘ちゃんだった、そう思ったそうです。

それ以降、松岡さんはスマイルをものすごく大事にするようになります。

「なぜおれはこうなっちゃんだ。こんなにがんべってるのに。」

と、今まではWHYの気持ちにとらわれていた松岡さんは、彼女に会って

「自分はこの状況でどうやったら勝てるのだろう。」

と、「HOW」を考える生き方に変わったと言います。彼女のおかげで前に進むことが出来たのです。

また、松岡さんは、「笑顔ほど最強のものはない」ことを実感したのだそうです。

その後松岡さんは1995年のウィンブルドン選手権に出場し、日本人だしとしては実62年ぶりにベスト8入りを果たしたのです。白血病の少女に出会い、笑顔の大切さを前向きな気持ちが彼にその偉業を成し遂げさせたのでしょう。

 

それ依頼、多くの人を本気で応援することが松岡さんの生きがいになっていったのです。日本一熱い男松岡修造の誕生です。

錦織圭との出会いと熱血指導

松岡さんは1998年に「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」(今の、男子ジュニア強化プロジェクト」)を設立し、選手時代の経験を活かし熱血指導を行っています。

その教え子の中には、錦織圭さんもいました。錦織選手の少年時代に行った松岡さんの熱血指導はどのようなものだったのでしょうか?

「彼は全然違う、天才だった」

そう語る松岡さん、ジュニア大会で初めて錦織選手を見たときは衝撃を受けたそうです。

当時錦織選手は11歳で、そのプレーを見た松岡さんは「何だこれ・・・」と、自分が崩れていく感じに襲われたそうです。小さくて筋肉もない錦織選手のプレーを見た松岡さんは、すでに自分より上にいる選手、と思ったのだそう。

 

錦織選手が「修繕チャレンジ」に入った時も、この少年には何も教えることがない、自分が教えると逆に下手になってしまうと心配してしまうほどでした。

 

「錦織にはテニスを絶対教えない」と心に誓った松岡さんでしたが、天才に錦織にも欠けているものがあると感じます。それは表現力でした。

 

内気な性格の錦織選手は、当時自分の気持ちを伝えるのが苦手でした。

「世界で活躍するには積極的なコミュニケーションが不可欠」

そう考える松岡選手は、錦織選手が苦手としていた英語のスピーチを厳しく指導するようになります。

松岡さんは自己嫌悪になるくらい錦織選手に厳しく指導しました。錦織選手はたびたび涙を流しましたが、それでもあきらめず続けてくれたのだそうです。

錦織選手が海外に行くことになり修造チャレンジも最後となった日、松岡さんのところに駆け寄った錦織選手は、

「修造さん、海外に行って表現力をつけてきます。」と言います。

松岡さんは「そうか」とだけ言って、後ろを向いて涙したそうです。

それ依頼、錦織選手と会うたびにそのことを思い出し、「よく世界で戦っている。」と、我が子を見る気持ちで感極まってウルウルしてしまうそうです。
 

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直撃シンソウ坂上(2月27日)松岡修造の感想

「生徒を叱るとき腹筋が切れるぐらい思いが入る。」

松岡さんは愛情の裏返しで、それくらい熱血な指導をされているようなのですが、

「その愛情をご家族に向けていますか。」

という坂上さんの質問に

「ないです・・・」

とうつむきながら答える。

お子さんにはどうも感情的に言ってしまうようです。

「なんでできないんだ!」

とか禁句だと頭では分かっているはずなのに、つい言ってしまうのだとか。そんな時は家族に反省文を書くのだそうです。ww

テレビで見る松岡さんとプライベートではかなり違うんですねー。それもまた松岡修造さんの魅力なのかもしれませんが。

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